日本人が英語学習でぶつかる3つの壁。

いくつか英語を「勉強」する方法について自分の経験を書いてきましたが(>その1 >その2)、ひとつはっきりしていることは、日本の通常の英語教育だけでは、ほぼつかいものにならないという現実です。

「カタカナ」撤廃運動を始めよう!

まず、日本語特有と思われる問題として、カタカナとローマ字というヤツらがいます。

このふたつが、はっきり言って非常に邪魔です。英語をわざわざ2段階に分けて、まったく違う言葉にしてしまっているんですから。よくカタカナ英語の弊害が言われますが、意味的な変容だけではなく、外国語をあるがままに受け取る、ということへの障壁をわざわざ高くしてくれます。

例えば、ラッパーのNicki Minajが活躍しだした頃、僕らは現地の呼び方になるべく近づけようとして「ニッキ・ミナージ」などと書いていました。しかしレコード会社の表記に従うという慣行もあり、いまは「ニッキー・ミナージュ」です。でも待ってください、本人はこう発音してます。

「ニッキー」と「ニッキ」の中間で、「ミナー(ジ)」という感じ? いずれにしても、どの日本語表記も元の発音とはかなり違います。ではこの人はどうでしょう、Laura Mvula。国内のレコード会社による表記は「ローラ・マブーラ」。自分は音楽メディアで編集をしていたのでこういう例がパッと頭に浮かびますが、実際のところ、カタカナで英語の正確な発音を書くことは不可能なんです。

ここで、最初の記事の動画に戻ってみましょう。「聴き取れない言葉は理解できない」という話が出てきます。最近、某外相が口走った「ディスイズアペン」と英語人が言う”This is a pen.”を、ぼくらの耳や脳は同じものとして扱うことはできないんです。同じように、 ローマ字表記を英語人に読んでもらえばわかると思いますが、これまた両者の橋渡しとしては非常に出来が悪い代物です(I’m so sorry Mr. Hepburn.)。

それに昨日書いた通り、外国語の完璧な翻訳は不可能ですから、「これはペンです」と言いたいから、「これ」は”This”だな、なんて頭の中で「翻訳」していたら、英語なんて喋れるわけがない(しかも、すでに「ペン」に当たる適当な日本語を見つけることはできないという始末……)。

心のなかにも、第3の障壁。

理想は”This is a pen.”はそのままで受け取る。日本語にしようとしない。これを実践する上で、カタカナとローマ字、さらに主体性を嫌う日本人の性向(「恥ずかしがり」とも言いますね……)が加われば、完璧に脳内言語障壁が3つ、高く高く立ちはだかります。

つまるところ、「日本語が特殊だから英語ができない」というよくある言い訳は、ある意味正しく、ある意味間違っているというわけ。

ではどうするべきか。
少なくとも、極力、カタカナ英語の使用をやめる。日本語として成立している言葉はしかたないですが、できるかぎり日本語の中でのイメージを払拭し、元の英語の意味合い、そこにある色、空気感をつかむしかありません。それを楽しみながら学べるという意味ではやはり映画やドラマが役に立つでしょうし、その際は自分がお手本にしたい役柄、話し方をする人を見つけて、ひたすら口に出して真似をする。僕は今これを実践中です。ネタ元がバレたら笑われるかもしれませんが(笑)。発音ができていくと、言葉の理解にもつながりますから。

そのひとつの成果として、このTED動画、一番最初に見た時はしっかり理解するのに英語字幕が必要でした。でも、いまは聴くだけで理解することができるようになりました。

この「口に出して練習」はまさに「肉体的トレーニング」になりますが、もうひとつよいところは、日本人にありがちな第3の障壁である「ガイジンぽい発音をしたら恥ずかしい」というバカげた気持ちを追い払うことができる、精神的なトレーニングにもなるところ。実際に発音の練習をしないで、ぶっつけ本番できれいな発音なんてできません。もちろん、最初からきれいな発音である必要はまったくないわけですが、そこを大事にしないと、聴く力も向上しにくいんですから。

というわけで3本続けて英語・外国語学習について書いてみましたが、これはまだまだ書けそうですね(笑)。実は、もうひとつ、言葉そのもの以前にとても大きな壁があると思っているんですが……それはまた次回以降で。

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