「地方」の食から考えてみる

去年、10年ほどを過ごした渋谷界隈から離れて埼玉に引っ越した。

東京の中箱以上のクラブが本当に今の音楽をかけなくなったので、踊りに出かける機会が減ったこと、それに日当たりがいいところに住もうと思ったからだ。かと言って仕事の都合を考えると、週に何度かは都内に出かけられる距離がいい。そういうなかで埼玉で面白い家に出会い、引っ越した。

ここで1つ説明しておくと、自分はコーヒーや紅茶、ハーブティー、鉄観音茶からガスウォーターまでいろいろな非アルコール飲料が大好きで、中毒と言っていいほど飲料を摂取する。また食事についても、「人は必ず死ぬのだから、食事をとれる回数は決まっている。すなわち、まずい飯を喰うなんてことは人生の中で損である」という考え方に完全同意するタイプだ。自分で作ったパスタの方が、そこらへんの「イタリアンレストラン」よりよほど美味しいものができると思っているし、さらに妻の料理はその味を軽く凌駕する。

というわけで、飲み食いは自分たちの生活で非常に重要な要素となっているのだが、引っ越し当初は、徒歩圏内にハラールショップやKALDIを発見、そこそこ美味しいカフェなんかも見つけて満足していたし、手に入りにくい食材なども通販なり都内に出かけたときなりに買ってくることができるということで満足していた。

しかし困っているのは、「外食」だ。

埼玉は車で移動する人が多いが、目につくレストランや飲食店はほぼ大規模なチェーン店ばかり。もちろん、そういう中でもきらいではない店もあるが、値段なりの味でしかない画一的な味だ。それを逃れて、きちんとおいしくサービスもよいお店を探そうと思って、まずは食べログを見てみると、個人経営のお店で一定以上の評価と判断できる3.5点以上のお店に行っても、渋谷周辺の感覚で言うと3点未満の内容でしかない。その中でも満足できるようなお店に巡りあったとしても、だいたいの場合小さい店で、それなりに混んでいたり、不定休で行ってみたら閉まっていた、なんてことが頻発する。

仕方ないから、人混みを覚悟してモールに出かけてみても、同じチェーン店ですら都内より味が落ちるなんてこともあったりする。このあたりは個人の運とか、好みの問題も関わるので微妙なところだが。

それにしても、こういう環境で生まれ育った人たちは美味しいものに触れる機会も少なくなり、それだけ味覚も画一的な脂とグルタミン酸だよりのつまらない料理ばかりを好むようになるのではないだろうか? 一次産品が豊かな地域であれば、その地域の素材を使った美味しい店というものが絶対にあるはずだが1、人口の大半が都市部に集まるようになっている昨今、その郊外に住んでいる人たちは、「チェーン店の味」をごちそうとして育つかもしれない。

そのチェーン店の味というのは、安い素材を加工して作り上げた工業製品のような食品2ばかりだ。

ここ2週間ほどで、チェーンではないイタリアンの店を3件ほど試してみたが、ピザはそこそこ食べられたとしてもパスタは信じられないような味ばかりでがっくりきている。ペペロンチーノに化学調味料で「うまみ」をつけるような店には二度と行きたくない。オリーブオイルも偽装で有名な商品だが、そのへんのドン・キホーテで買える安いオイルと、にんにく、鷹の爪、それにDe Ceccoあたりのパスタと塩を使えば、基本的な美味しさは絶対に実現できる。それなのに、出てくるのはべちょっとした和風味の「ペペロンチーノ」や、トマトソースにケチャップ入れてるくらいならまだしも、ヘタするとシーチキンが入ったペスカトーレなんて笑うしかないものを食う羽目になる……。まさに「噴飯もの3」、毎日自炊するしかないのか、という状況で、これはどうにかしたいところだ。

個人的な残念さはともかくとして、おいしいと口コミが付いているような店でもこの状況ということは、地域の人達の味覚がそうなっているわけだ。これでは、日本が世界に誇れる素晴らしい文化のひとつ、「繊細な味覚と旬を活かした和食」や、「独自の取り込み方で磨き上げた謎料理としての洋食」というものが育たなくなっていくのでは、と勝手に心配している。自分自身、きちんと美味しい和食を食べたことがどこまであるのか、と訊かれたらはなはだ心もとない。

さらに言えば、日本の経済がはっきりと破綻に向かっている以上、そんな「文化」など吹き飛んでしまうような、「まともなものが食えなくなる」時代が来る可能性も否定出来ない。至近では長時間労働が合法化されていく流れだし、自炊する時間などはさらに減ることになるだろう。貧富の差が広がれば、アメリカのように低所得層は冷凍食品やジャンクフードばかりを食べて肥満の割合が増え、病気にもかかりやすくなる、という悪夢のような未来がほぼ確定している。

世界的にも人口は少なくとも110億人まで増えると推測されていて、相当な技術革新が進まないと危険な状況になることが予想されている。事程左様に、ひとつの疑問を探っていくと、どうにも大きな問題につながり、人間というものを考え尽くさなければいけない時代になってしまった。これを乗り越えるための知恵を尽くすのに、日本という「単位」はどうにも、不自由に感じています。

  1. >> twitterで話した人たち によると、地方の良さを地方の人たち自身が信じ難い状況があるようだ。
  2. こちらの >> 記事は読んだ人もいるのでは?
  3. ちなみに「噴飯もの」とは元は「思わず笑って飯を吹き出すようなこと」を指す言葉だったが、最近は「憤慨してしまうようなこと」という意味に変わってきている。今回の話では両方当てはまるが。

2 Comments

  1. 私は、目黒にあった札幌屋という店の味噌ラーメンが大好きでした。その昔、“サッポロラーメン”と看板のある店がやたらと街道沿いにありました。だけど、それこそインスンタントラーメンの方がよっぽどおいしい味でした。都内にもたくさんあって、TVでも盛んに取り上げていた。
    そしてサッポロに行けば、サッポロラーメン。この前、看板の落ちた何とか道楽の地下に、ラーメン屋が一杯あった。バターラーメンなどうまそう-なので食ったりしたらすぐ,ゲエゲエピーピー。
    そしてあのラーメン横丁。ま、最低。これこそ本当にインスンタンとがおすすめ。
    3日は妻の要望で、外食にした。正直言ってイタリアンは余り好きではないが、結局水戸街道沿いのイタリアン店に入った。パスタの他“豚肉のロースト”を選んだ。これが自分の想像していたものと違い、殆ど脂身が主成分で、少し茹でた様な感じ。私は脂身が見るのも嫌いなので、付け合わせのサラダ葉っぱを脂身の上に乗せるのに忙しかった。お金を払っていい仕事をした?
    私は基本的に、刺身はは好きではない。だからできるだけ小ぶりのが好ましい。だけど世間では、小ぶりの飯にでっかいネタが乗っているのが正しい鮨らしい。私は気持ちが悪くて、見るのも嫌。
    それにあの油ぎとぎと、トロおいし~い。(吉が以下?)
    そして、鮭の何だっけ、昔は鮭の助っていってたやつ、今は何とかサーモン、そんなの寄生虫の塊。
    更には回転寿司に行くと、ガキが”エンガワ”なんて叫ぶ。おいおい、カレイのひれおまえ食ったことあるのか?お父さん・お母さん面倒だからお家では手をつけないでしょう?その前に魚なんて、面倒だから殆ど食べないでしょう?

    私がガキの頃、肉なんか余り流通していなかったし、そもそもあったとしても買えなかった。肉と言えば使えなくなった馬の肉だった。私は馬の肉は牛に似ていると感じている。だから、牛肉が好きだ。だけど、けれども刺身はやっぱり苦手だ。阿蘇山付近に行くと、名物として必ず“馬刺し”がでるが正直困ってしまう。だけど、TVのタレントになったら“おいしーい”なんて言うんだろな。
    そしてその頃、とろーりととろける脂身が好みだった。
    今は目にするだけでゾッとする。

    多分、このような私の書いたことは、今の世の中ではみんな“間違っている”と言われることでしょう。だけど食えない物は食えない。味なんてものは、個人それぞれであり、私たちが目にしたり知識として得たりするおいしさは、それこそTVで言っていた“おいしーい”ではないんだろうか。

    味はあるレベルはあるとは思うが、その先は好みではないだろうか?それを、地域とか、地方とかいうのは、味違い?筋違い?

    私は、このようなことでも経済的なことが一番の原因のような気がする。

    いつもあちこち行かれて、さぞかし新鮮なものをお召し上がりでしょう?
    ”ええ、まあ” 
    だけど本当は一番おいしいのは東京に行くんですよ。何しろ、値段ですからね。

    だからという訳でなく、金がなかったから,私が地方に行って食ったのは、余り上等ではなかった。
    お金があれば、もっと少し上等なのは味わえたかも。

    だけど、安くてもおいしいのは一杯あった。

    1. この感覚の違いは世代によって味覚が変わるというのは確実だといういい例なのではないでしょうか?

      「地方」という言葉の感覚も違っているように感じます。やはりあくまで「郊外」の感覚とするべきでしょうか? それでも、チェーン店に代表される資本主義の大きな力になにかが破壊されていっているのは間違いないのでは、と思います。そのなかで新しい「味」を伝えるのに成功している企業が伸びているのかも。

      仰るとおり、経済がどう動くかが問題で、規模に頼る形の消費社会をどこまで離脱できるか、またその鍵として富の再分配が成功するかどうかにかかっていると思います。現状のままでは先行きは暗そうですが。

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